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ランニングを走りきる最大のコツは、めちゃくちゃテンションを上げること

ランニングというものを、そもそも勘違いしていたかもしれない。というのも最近認知療法とか色々かじってみて、ランニングも走っている最中にかなりメンタルに左右される部分があると感じたからだ。

 

ランニングをすると、多分どれだけ体を鍛えても走っている途中で体が苦しくなる。全身が酸素を求めるようになり、赤血球が身体中を走り回る。ランニングの専門書では一定時間走ると体は自然と走るようになるというが、何キロ走っても途中でやめるという選択肢は脳裏にちらつくし、実際距離が長くなるにつれてその選択をどんどん取りたくなってくる。

 

ただ走るのをやめるかどうかの選択はほとんどの場合自分がしなきゃ行けなくて、自分で降りる選択をした後にはやるせなさが一日中つきまとう。だから、ランニングは最後までやめない選択肢を取り続ける一種のメンタルスポーツだと思う。

 

 

とりあえず、このメンタルスポーツを制する一つの方法は、音楽に頼ることかなと思う。個人的にはきついとわかっている時間帯に自分の好きな曲を持ってくるようにしていて、だいたい10~15分くらいにプレイリストを組んでいる。好きな曲はサカナクションの「アイデンティティ」とかaviciiの「wake me up」とか。テンションが上がればいいので歌の歌詞とかはあまり気にしないタイプである。

 

また、何かメモを残しておいて、モチベーションを引き起こすことも大切にしている。そのメモには、具体的には自分の不安をめちゃくちゃ想起させる内容を書き残している。ジムに毎月払っている費用とか、人生がどんどんすり減っていく恐怖なんかを書き起こしている。不安や恐怖は、日によってどれが感じ取れるか変わるので、いろんな内容を書き起こしておくことが大切だと思う。毎日同じことを考えていると次第に頭が慣れてきて、あまり感情が沸き起こらない。

 

例えば自分が年齢的にも身体的にも老いるのが怖くて、少しでも若さを保ちたいから走っているとする。走っているうちに自分がなんのために走っているのかだんだん忘れていくので、しっかりとその恐怖を喚起する文章を目の前に飾っておく必要がある。ちょっと癖をつけて「自分が醜く老いる姿を想像しよう」みたいな文章を飾っておくといいと思う。自分は体が老いて、まともに歩けなくなる姿や容姿が醜くなる姿を想像している。

 

また肯定的に、「しっかりと体を鍛えてかっこよく歳を重ねよう」などというのもいいかもしれない。不安は体を動かしやすいが、どこか限界があるし、体を壊してしまいかねない。それだったら前向きなモチベーションの方がいいと思う。そしてたまには、老いではなく違うことをモチベーションにすることが大切だと思う。

 

人間は良くも悪くも飽きやすいので、日々新鮮な恐怖を仕入れていくことは大切だ。恋心なんかもモチベーションになるだろう。もし自分の体に引き締まりがないせいであの人から嫌われたらどうしようみたいな感じでいいかもしれない。

 

走らない人にとってはランニングのイメージは精神的に一定していて、スポーツというよりは作業的なイメージがあるのかもしれない。過去の自分もそうだった。

 

しかし自分にとってランニングとは走っている最中うつ病患者のようにメンタルがボロボロになりつつも、肉体的に何か超人間的な力を得ていると錯覚するような瞬間に遭遇する運動である。自分との戦いというよりは、自分の肉体があげる悲鳴を精神力で打ち勝つイメージに近い。

 

そして走りきった後は、晴れて爽快な気分になれる。それは肉体的な高揚感よりも、自分に打ち勝った精神的高揚の方が大きいと思う。