本は安い
そのことに気づいたのは、本を買って読むようになってすぐ後であった。よくよく思えば、本の値段は中身ではなくサイズによって決まっている。だからどれだけ素晴らしい書籍でも一定の値段に収まってしまうのだ。そう考えると、本はただただ安い。
そしてもう一つ、本を大量に読んでわかったことがある。それは買って何度も読まないと意味がないということだ。
重要な部分には下線を引いて、時にはスクラップにしてでも血肉にする。私の尊敬している人が常々言っている言葉である。やってみないとわからないと思うのだが、実際に私はこれをすることでかなり人生観が変わったように思える。
読書というのは、その人の見ている世界を変えるのだ。読書を毎日する前までは、私はみんながみんな同じように物事を見ていると考えていた。しかし、当たり前だが男女で考え方は違うし、老人と若者、金持ちと貧乏人で考えていることは違う。考えていることが違うのだから世界も違うのだ。
読書を進めるにつれて、徐々に「視点」とか「世界」というものがわかってくるようになる。ああ、この間までの自分にはこういう視点はなかったな、こういう世界は知らなかったな。こういう風に考えられるようになると、自分が広がった感覚に満たされる。これを味わえるようになるとどんどん読書に没頭するようになる。(そしてくだらない文章を読むのに辟易してくる)
縷々として読書の凄さを述べてきたが、一方でこの時代において読書をしている人間としていない人間の差は、まるで貧富の格差が如く巨大になっていると思う。
一番わかりやすいのは人間関係ではないだろうか。相手に本気で怒る人間は大体教養がない(パフォーマンスとしての説教、形としての説教は別だが)。人間というのは自分が悪いとは思わない生き物だからだ。
この知識は「人を動かす」の冒頭を読めば知ることができる。定価は700円くらいだ。これが読書をしているものとしていないものの差だと私は思う。あとまあ単純に人生設計などにおいて勉強している人間としていない人間の差は非常に大きい。
去年もっとも自分に影響を与えたのは、安部晋三暗殺でもウクライナ侵攻でも親の離婚でもなく、「本は買って血肉にせよ」というアドバイスに従ったことだと思う。大体40冊くらい買って読んだが、総合で見たら50000円に届くか届かないか程度であり、非常に安い買い物だったと思っている。少なくともそのお金でプレイステーションを買うよりははるかにいい。
最近、短大卒だが司法試験に受かった人の話を聞いたことがある。その人は大学受験がなく時間が有り余っていたため、「資本論」や「罪と罰」などを読みふけっていたら、司法試験など余裕で通ってしまったらしい。これだけでも読書の効用というのがわかる。