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小説や映画の魅力は、想像力が最大まで鍛えられること

人生でもっとも大切な能力は、想像力だと思っている。想像力があれば、何気ない会話で相手の機嫌を推し量ることも、景気の先行きを読み解くことも、徐々にできるようになる。景気の先行きは知識の方が大切だと思うかもしれないが、実際にはその知識をもとに未来を組み立てていくのは想像力だ。

 

このことに気づいたのは、高校時代に数学を勉強していた時だった。数学というのは特に想像力が必要な科目で、問題を見た瞬間に、問題文が暗に示しているメッセージを読み取る能力が大切だと思う。自分は、確率の勉強がとても楽しかった。高校数学の中で確率の分野が一番好きだったのは、確率という概念が(高校数学の範囲では)私の中で最もイメージしやすく、問題解説を見てもすんなりとイメージができたからだ。3C2を式だけ展開して、3と出す人間はごまんといるが、それをしっかり図解できる人間は世の中でそんなに多くないと思っている。

 よく、公式の意味を理解せずに闇雲に当てはめている人が文系には多い。おおよそそういう人というのは、数学の何が面白いのかわからないといった顔をしながら数学の授業を受けていて、多分問題を解いている時も自分の想像ではなく、頭の中の公式に頼っているから合っているかどうか確信が持てず不安になるのだと思う。

 

しかし真に数学をわかっている者というのは、数学のノリが通じる人間というのは、自分の頭の中で綺麗なイメージを持てるものである。このしっかり想像できる快感というのは数学の大きな魅力だと思う。

 

さて話を戻すと、想像がしっかりできる人間は、視野が目の前だけでなく過去、未来、外国、死後の世界、他人の心の内、会社の内情、老化した自分の姿まで把握することができる。自分の想像したいものをクリアに頭に思い浮かべることができる。

 

これができる人間が人生で大きなアドバンテージを得るのは、誰にもわかることだと思うし、私はこういう人間にとても憧れている。

 

そして私は、これらの想像力を鍛えるのに欠かせないのが、小説や映画だと思う。小説や映画を所詮は娯楽だと思って流している人には、あまり想像力を働かせていないのではないかと思う。

 

特に小説は、自分で進めなければいけないから、自然と映画よりも頭を使う領域が増える。深い名著と呼ばれるほど、作者の考える世界観というものに引き込まれていく。今は嵐が丘の小説を読んでいるが、舞台はただのイギリスの田舎だ。登場人物もさほど多くはないのに、あそこまでの世界を作り出せるものだと感心している。イギリスという土地に行ったことがないので写真でしか舞台はわからないが、それ以上に嵐が丘は人間の愛憎の描き方が凄まじかった。

 

作者のエミリーブロンテは30代でこの世を去っているが、その短い人生で一体何を体験していたのだろうと気になって仕方がない。

 

私は女性作家の書いた本はいくらでも読んだことがある。しかし、嵐が丘は私の中で女性作家が書いた本としては群を抜いて頭に残る作品だった。それは彼女が女性だったこともあるし、彼女の宗教観も無宗教現代日本人にはわからないことが多かった。キャサリンヒースクリフの最後についていくつか宗教観を踏まえた考察を見たが、あの死生観の超絶ぶりは私の小さな脳みそを少し大きくしてくれたように思う。彼女の作った小宇宙はとても面白かった。

 

もちろん、世の中には駄作も多い。しかし名作と呼ばれる小説や映画の一つ一つには、それぞれ素晴らしい世界が眠っていて、その世界に入り浸ることで現実でも小さな変化が必ずあると思う。