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努力が実らない人達の共通点をまとめてみた

「頑張ります!」という言葉を聞くと、本人の中でどの程度の認識なのかと思う時が少なくない。

 

「頑張ります!」=口から出任せの言葉なのか、それとも寝る間も惜しんで死ぬほど頑張るという意味なのか。

 

そこでこの記事では、私が思う「努力する」の定義をまとめてみたいと思う。

 

努力するとは、実力100のうち90を使うこと

 

まず、自分が今現在持っている使える時間、体力、コネ、金、頭etcを総合して「実力」とする。そして努力とは自分の実力を何かに使うと定義する。

 

努力するというのは自分の実力を100とした時に、90を使うことだと考えている。自分の実力が100ならば、90までが使っていい範囲で、残りの10はあまり使ってはならない。

 

これはスポーツをやっていた人なら一度は聞いた事はあると思っていて、残りの10は自分と相手の怪我防止のために割くエネルギーである。同様に金や体力、コネや時間も自分の保険用にある程度の部分は残しておかなければならない。

 

この10はそれぞれの実力のうち

 

金・・・万が一がのための貯金や、資産管理能力

体力・・・倒れないためのブレーキ。継続させるための力

コネ・・・借りをしすぎない健全な人脈や、冷静に人間関係を見る力

時間・・・万が一用事が入った時のためのバッファ

 

と言える

 

これを勘違いして100発揮することを頑張ると定義する人や、120%発揮することを頑張ると定義する人が結構いるなと思う。それぞれどういう状態に陥るかを簡潔にまとめると以下の通り

努力する=100の力を発揮するだと思ってる人

理論的には100の努力はできるので、最初のうちはそれなりに続くし成果も出る。しかし無理が祟って気づいたら金がなかったり倒れてしまうのがこの手の人たち。

 

コミュニティの中で人間関係を破綻させるトリガーとなるのも割とこの人。この人は周りが努力不足に見えてかなりイライラしている。なぜなら自分は100の努力をしているので、10セーブして90の努力をしている他人が努力不足に思えてならないから。だから周りに圧力を加えることが少なくない。

 

努力する=120%の力を発揮するだと思っている人

努力が空回りして全く成果が上がってない場合はだいたいこのタイプの人。こういう人はおおよそ何かを信じていて、それを信じる事で自分が120の力、すなわち自分の実力以上の力を出せると考えていることが多い。

 

この手の人と努力する=100発揮するだと思ってる人の違いは、自分の実力が100だと気づいていない点だ。彼らは人間の可能性は無限大みたいな思考を持っていることが多い。だから、そもそも自分の実力が80かもしれないのに120を目指していたり、150の力を発揮できると考えている節がある。ダメなカツマーとかがこのタイプ。

 

彼らの実力は100が上限なのに120を目指すと当然うまくいかず、成果は上がらないので周りをイラつかせることが多い。

 

「努力する」と「地力をあげる」の違い

毎日90の力しか発揮していないと、本当は95出せるんじゃないかとか、ちょっとくらい100出してもいいじゃないかと思う時がある。

 

しかし本当のところは、毎日90の力を発揮+セーブするのに10の力を発揮しているので、適切な努力をしている人は毎日100の実力を発揮しているのである。

 

そしてこの100(パワー90+セーブ機能10)の努力を毎日続けていると、だんだん頭の中で「もしかしてパワーを95くらいは発揮してもいいんじゃないか」と思えるようになる。これは100の力を発揮していることでキャパが増えて自分の使えるポイントが105になったからで、地力が上がったということである。

 

この地力が上がる条件というのは、「これならある程度継続できるな」と体と頭が覚える事である。最初は苦しかったけど慣れてみたら・・・というあれだ。

 

しかし努力する=100の力を発揮するだと思ってる人は、本来発揮するべき10のセーブするための力を発揮していないから、いつまでも身体がついていかず継続ができない。継続できて初めて努力である

 

身の丈にあった努力から初めて、徐々に使えるキャパを増やしていくというのは、古今東西の王道である。

いつまでも自分の使える力が90だと100日頑張っても9000しかポイントがたまらないように思えるが、地力が上がってキャパが110になり、100の力が使えるように慣れば100日で10000ポイント努力を重ねることができる。

 

努力しているという人はその努力が本当に現実的なものか、今一度見直してみたらどうだろうか