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インターネットばかり見ていると、人生が2chみたいになる

無欲というのは裕福な人が言うから説得力があるのであって、まともなものすら買えない貧乏人が清貧を唱えても耳を貸すものはいない。裕福の実体験という比較対象がないから説得力がない。

 

これと同じようなことが、現代人にも当てはまるのではないかと思っている。すなわちネット弁慶というやつで、体験したことはないけど聞いたことはあるから、想像だけで世の中を見てしまう人間が明らかに増えたと思う。

 

スマホを通してわかる知識なんか大したことないのに、それが世界の全てだと思い込んでいるから、言うことやること現実とそぐわず、それを本人も薄々気づいてストレスを抱え込んでいる。この記事をみているあなたも心のどこかで、ネットばかり見ている後ろめたさを感じているのではないか?

欲望がないのではない、欲望の満たし方がわからないのだ

ネットばかり見ていると、とりあえず美味そうな料理や綺麗な旅行先、面白い動画など色々と出てくる。うまいものを食うことはできないが、写真を見て満足することができる。現実では彼女ができなくても最近はとんでもなく綺麗なAV女優も増えてきたし、FANZAの無料動画を見ていればおかずには困らない。

 

 さてここで彼らが満たしているものは果たしてなんなのだろうか。食欲?性欲?好奇心?おそらくどれも違うだろう。だって、彼らが見ているのはスマホであって、美味しい料理も綺麗な風景も見ていないのだから。

ヨーロッパに行ったことがない人のヨーロッパ観

ヨーロッパに行ったことがない人というのは日本にはたくさんいるので、彼らと話をしているとヨーロッパがまずどこまで入るのかわかっていない人がいる。中東の一部の国をヨーロッパに入れる人もいるし、アメリカをヨーロッパだと思っている人もいるのが現実だ。フランスといえばエッフェル塔シャンゼリゼ通りで、シャンゼリゼ通りを通ってる人間は白人ばかりだと思っている人は少なくないだろう。

 

そんな彼らにとって「ヨーロッパに一度は行ってみたいなあ」と心の中では思っていても実際に行ったことがないので、あんまり自分が行くイメージが湧いてこない。ひどい人だとフランスは存在しないのではないかと思っている人もいるのではなかろうか。

 

結局フランスに行ったことのない人にとって、フランスはいつまでも「空想上のフランス」なので、どうしても実際にフランスに行ったことのある人と比べて乖離が生じてしまう。この人の「フランスに行かなかった虚しさ」はフランスに行かないと消え去ることはない

自分が何がしたいのかすらわからない「無知の知

このように世の中そもそも「知らないと」欲が出てこないのである。そんなことできるんだ!と気づいて初めて、自分もやってみようという気が起きてくる。よく超進学校の生徒は周りの同級生が平然と東大に受かっていくので、自分にもいけると信じることができ、田舎の高校生より気後れすることなく東大を受験できる文化がある。だから超進学校の生徒にとって、東大はそもそも「頑張れば行けるもの」であり、だからこそ「行きたい」 という欲が成立するのである。

 

逆に田舎の東大が10年で一人も出ないような、東大合格者=伝説の人みたいな地域では、東大に行きたいと言う感情が湧いてこない。これはある意味仕方のないことである。

 

だから欲がない、これと言ってやりたいことがないという人は、まず自分がインターネットで薄っぺらい知識ばかり集めていることを自覚するべきである。自分が田舎の底辺高校生だと思うなら、とりあえず東京に出て東大を見にくることくらいはできるだろう。東大にいくのが難しいとわかっても、大学進学を機に東京に出てくる手段はいくつかあると思う。

 

そうやって知識が集まってくれば、だんだんと自分がイメージしていた東京というと言うのは崩れ去り、自ずと自分が行ける範囲というのもわかってくるし、行けるとわかったら行ってみようか、となる。

 

 インターネットの薄っぺらい知識を貪るのをやめて、現地調査なりなんなりと実体験に基づいた経験を積み上げることで、ネット上でしか生きれない内弁慶の人生を脱却できるはずだ