今日もまた一日

ビジネス、雑記等のブログ

僕が毎月100キロランニングする理由は、うまく行っている人生を作り出すため

ランニングを習慣づけているランナーにとって、走る理由は人それぞれだ。ポジティブな理由、ネガティブな理由は人それぞれだろう。高齢者は老いへの恐怖から毎日走っている人が多いらしい。

 

自分は毎月100キロ前後走っているが、ふと自分が走る理由って何だろうと思ってこの間考えてみたところ、一番の理由は多分"名誉"だろうと思った。

 

 

もともとランニングを始めたきっかけは、大学生のちょっと太っていた時で、大学生活が全体的にうまく行っていない時期だった。勉強も身が入らず、人間関係づくりもうまくいかない。あと大学生なのに童貞で後ろめたいところがあった。

 

そんな自分にとって"毎月結構な距離を走っている"というのは一種の自信をくれるもので、筋トレは苦手だがジョギングは続いている。よくポジティブな理由よりネガティブな理由の方が頭が反応して動くというが、この”走ることによって自分の承認欲求を満たす”というネガティブな活動は、何かに寄り添いたい自分にぴったりだった。

 

だからランニングを始めた時から今までマラソン大会に出たいと思ったこともなくて、具体的な目標もなく走り込んでいる。時々普段のコースから外れて街をぐるっと回ったりしているものの、たまには遠くに行くかくらいの感覚にすぎない。走ってる時は退屈で、疲れてくるとぼーっとしてくるから頑張って走り込む。走る前はだるいなあと思うしたまには嫌になって走らない日もある。

 

そんな時でも、ランニング以外でうまく行ってないこと・・・いくらでも思いつくことを頭に思い浮かべては、それらの代償行為として走りに集中する。自分が走ってることでちょっとした言い訳を作る。自分は走ってるぞ、仕事はあまりうまく行ってないしモテもしないけど俺は走ってるぞ、と。

 

上にあげた通り人間はネガティブな理由の方が体が動きやすいというのはどうも本当らしくて、こういう嫌な想像をしては体を動かし、結果を残すというシステムが壊れたことは一度もない。

 

だからこのランニングという体の現実逃避は、モチベーションが自分でも薄っぺらいなあと思いつつも、多分これじゃないと続かないんだろうと思う。走り終えて、本当はランニングじゃなくて勉強した方がいいんじゃねえかと思うことも少なくないが、自分は勉強したところで自分に名誉をつけることができないらしい。

 

他に理由を見つけるとしたらやっぱり健康になれるということで、走って汗を流すと明らかにネガティブな思考が頭から勝手にフィルタリングされる。副交感神経が高まるというか、朝5キロも走れば一日中どこかポカポカした感じで過ごせるのは途轍もない恩恵だ。

 

ただこの身体的高揚感は走る前には感じづらいし、あくまで自分の中ではおまけにすぎない。釣りに行って海の景色を楽しむくらいの感覚で、肝心の"釣りたい欲"に合点するのは人生を少しでもうまく行ってると思いたい自分の心の弱さ?だと思う。

 

薄っぺらいけど、人に迷惑かけるわけでもないし、まあいいかと思う。今日も自分の嫌な姿を想像しては、それを振り払うために走る。