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どういう条件だったらランニングを途中でやめてもいいのか、という話

ランニングをしていて、途中で走るのをやめたことがない人はいないと思う。

 

しかし、せっかく挑戦しているのに途中で挫折するのはそれなりに悔しいし、次に走り切れるのか自信がなくなってしまう。でもやはりやめるべき時はあると思う。

基本は「あの時やめてよかった」>「やめて後悔した」

個人的にやめる時の条件というのは、後で振り返った時に「あの時やめておいて正解だった」と思えるかどうかだと思っている。

具体的には、

・スケジュールの都合上普段は走らない日中に走ったら汗が止まらなくなって怖くなった

・普段のペースより30秒近く速く走ってしまったがために足が痛くなった

という感じである。特に痛みに関しては、吊る一歩手前の感覚がしたらとにかく止める必要がある。今まで走るのを途中でやめた日はしっかり覚えているが、後から思い返しても「仕方なかったな」と思える日だった。

個人的には、「走りきれたけど自分の意志が弱かったせいで完走できなかった」と思うのが一番嫌で、それを回避できていれば納得できるのだと思う。「速く走りすぎた」とか「天気を読み間違えた」というのは自分の調整不足と考えることもあるけど、それは完全に自分の意志で制御できる範囲ではないと考えているので、あまり気にしていない。

速く走りすぎたというのは自分の体調が思ったより良かったということで、自分の体調は完全には制御できないものだ。天候が思ったより暑かったとしても、天候の変化は自分には及ばないことだ。

私はそういう感じで思考を切り替えている。

鈍痛は耐えて走りきる

数日連続で長距離を走る場合、後半になるにつれ疲労からの鈍痛が重しになるのがほとんどだ。足の肉が疲労でくたびれている感じがして重く、一歩踏み出すと前日とは感覚が違う。

走り始めて1kmくらいまでは本当に体が痛い。骨が軋み、まだ体が休んでいたいと伝えているような気がする。しかし体に合わせてもいられないのが現実だ。

しかし「疲れている」と「痛めている」の違いは大きくて、2㎞を過ぎたくらいからまたぴんぴんして体は動き始めるのだ。この鈍痛を耐える時間というのは、タイムを意識していない人ならばスローペースでいいと思う。

止める基準を明確にする恩恵

そもそもそう簡単には諦めないという前提があるものの、こうやってやめる基準を明確にしておくことでやめる時はスパッとやめることができる。

以前は足が中途半端に痛い時などに、やめようか悩んでだらだらとウォーキングすることも少なくなかったが、やめる時はやめてほかのことに時間を回せるようになった。ランニングはメンタルスポーツだと思うので、やめてもあと腐れなくしておくのが一番重要だろう。