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東京で日常生活を送るなら、視力は0.7で十分だ

私は本来字も読めないほどの近眼で、メガネがなければ生きていくことができない。しかし、今はメガネで矯正をしていても視力が0.7、つまり家でテレビを見れるくらいの視力しか持っていない。だから窓から見える時計台の針先はブレて見えている。

どんな視力で外出するのも自由だが、0.7という視力は外で安全に生活できる視力の限界値のように思える。医者の基準では1.0が通常だそうだ。0.7より低いとどうしても文字を読むために目を細めた生活をしなければならない。

なぜ私がこの程度の視力で外を歩いているかというと、気分的には楽だからである。まず近くを見るのが1日の大半となった現在で、遠くを見る時間はとても少ない。それに、遠くが見えないということは、遠くを見なくていいということでもある。遠くを見つめる能力はもはや東京に住むものにとっては必要とされる能力ではない。

多分、昔はそれなりにあったのだと思う。安易な想像だが砂漠に住む民族が、長距離間の意思疎通を電話抜きでするのならばサインをするしかない。そうなってくるとわざわざ近くにいくのも億劫だから、自然と遠くを見つめるようになる。

だが東京という街で、30m先を見つめる必要がある瞬間はどれくらいあるだろうか。20mくらいであれば、駅名表示を見るのに使うかもしれない。だが、その程度であれば0.7の視力で見ることはできる。

視力0.7の世界というのは、残りの0.3が排除された世界でもある。遠くのものはぼやけ、わざわざ目を凝らさないと見えないのだから見る気が起きない。しかもそのぼやけた部分は東京という街では不必要な部分なのだから、必要なものだけを見て生きていくことができる。

しかし、こういう生活を続けいてると、時々1.0の世界に戻したくなる。だから私は二つのメガネを持っていて、時々1.0のメガネを付けて外出する。1.0の世界はクリアで、新緑の先端までしっかりと見える。こうなるともはや1.0の世界は一つの芸術であり、絵画のように思えてくる。生きていくだけなら0.7、綺麗な視界を手に入れたいのなら1.0と言った具合がちょうどいいだろう。