ネガティブのあまり野党的な人物になっていないか
ネガティブは良いことだが、ネガティブすぎるのはよくない。
保守的になりすぎるあまりにいつのまにか、ネガティブになることが目的と化していることがある。
私はこれを「自分の野党化」と呼んでいる。
自分の存在を国家と考えると、自分の思考、脳は国会であり、自分の意志は国会の議論の中で尽くされるわけである。しかし、この国会がいつの間にか野党の意見ばかりになってしまう時がある。
ようは何を言っても反対、ネガティブな意見に収束してしまうのである。
現実の野党というのも国をいい方向へ動かす云々より、与党の上げ足を取るほうに重きを置いている。それと似たような感じで、自分の考えていることに対して批判的な考えしかできなくなっているのだ。野党はそれでいいが自分に対して野党的な行動を取るのは合理性に欠ける。
だが、案外自分が腐った林檎であることに自分で気づくことは難しい。本当に難しい。
周りから見ると(特に上司からみると)不平しか言わない人間は周りをやめさせる可能性があり危険だし、同僚から見てもあんまり近づきたくない。それでいて本人は自分が正しいと思っているので周囲とのギャップが生まれる。(実際的を射た批判をしていることもあるのだが、ただただ批判をしているパターンが多い)
こういう感じの人は、誰しも人生で一度くらい会ったことがあると思う。自分の場合小中学生の時に学年に1人はいた。
卑屈で、何をしてもダメだと思っていて、だから勉強しないで成績が悪くて、さらに卑屈になっていく。
これの繰り返しを永遠としている人種というのが確かにいた。
何か失敗した時、うまくいかない時、そういう時は多々あると思う。こういう人間になるときもある。
しかし、しょうもない批判は人生を無駄にするだけである。テレビであーだこーだ生産性のない批判を展開している野党議員を見て、ふと自分に似ていると気づいたら、その時がループから抜け出すチャンスかもしれない。